バックパッカーで旅へ出かけよう!-インド旅行記-中編【バラナシ】自由と異文化の創造

旅行記
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こんにちはポールです。
インド旅行記を投稿しています。
 
 
 
 
iphoneで書いていた日記自体に写真が挿入されていたのでそのまま投稿します。
バックパッカーで旅へ出かけよう!-インド旅行記-中編
今回はバラナシ編です。コメントで質問も答えます。

日記

インド6日目。
昨日の夜、駅構内をさまよいながらも、どうにか寝台列車に乗りこんだ。
駅員さん曰く、バラナシには明日の午前10時着とのこと。

自分のシートを見つけ、向かいのインド人に会釈して眠りについた。

 

 

午前8。朝日の眩しさに目を覚ます。
どこまで進んだのだろうか。
宿でしかネットを繋げないので、リキシャーなどで行き場所を説明しづらいという苦悩を3日前のジャイプールで出会った日本人に話した際、オフラインでも地図が見られる無敵のアプリ「maps.me」をオススメされ、さっそく開いてみると

昨夜出発したはずのアーグラーの街からほとんど進んでいなかった

その事実を知った際
少し目が覚めた時電車が止まっていたような微かな記憶が蘇ってきた。

 

予定通りには行かない。
『日本だったらニュースになりそうだ』なんて思いながら
村上春樹「ノルウェイの森」を読んで暇をつぶす。

それにしてもかなりの空腹だ。
しかし空腹の状態にも慣れてきてしまった。

道中、駅に止まるたびにおばちゃんがやってきて
少し高い値段でお菓子やご飯を販売していたが

『ここで買ったら何かに負けてしまう』と自分に喝を入れる。

 

 

ようやく私の目的地バラナシに到着した。
時計を見ると午後20時。10時間遅れだったが
車内で隣のインド人に話を聞くと、『よくある事さ』という。

今日はもう何もやれそうにないので宿を探し、チェックイン。
昨日の夕方から何も食べていないが、自然と空腹はおさまっていた。
しかし、何か口にしなければと思い、宿の近くあったドミノピザへ入る。

店内に入るとインドの宗教的でベジタリアンが一定数いるためか
ベジ or ノンベジ でメニューが分かれていた。

私はベジのBURGER PIZZAなるものを購入。
頼んだ後に気が付いたが、2日連続でバーガーを頼んでいた。

 

 

宿に戻ったが、列車で寝ていたせいか体のあちこちが痛いが全く眠気がこない。
ノルウェイの森の続きでも読みながら眠気を待つとしよう。

明日はガンジス川を目指す。生と死が入り乱れるガンジス川。

そこで私は何を目にするのだろうか

 
 
 
 
 
 
 

7日目 バラナシ 〜魂の返る場所ガンジス川〜

 

日記

 

インド7日目。今日はガンジス川へ向かう。
インドでは当たり前なのだが、リキシャーや店の人
さらには小さな子供までが色々としつこく誘ってきたり物乞いをしにくる。
 
しかしながら、バラナシという街は断るとすぐに諦めてくれる人が多い。
たったそれだけで、すごく良い街だという印象。
 
 

宿からガンジス川までは多少の距離があるのでゆっくりと街を探検しながら進む。ガンジス川に向かうに連れてバザールのようなものが多くなってきた。

しかし、ここに4日ほど滞在するので
とりあえずバザールの人混みをかき分けながら歩く。

 
 
 
 
道がだんだんと広くなり、
 
歴史のありそうなゆったりとした階段を降りた先。
 
ガンジス川はずっしりとそこに、あった。
 
 
 
 
 
 
河川は広く向こう岸が微かに見える程度だ。
インド人はそこに神が宿ると言う。
 
高校時代に世界史を教えてくれていた先生が大学時代にインドを訪れた際
 
「子供を育てられないという理由で、
生後間もない赤ん坊を川に流している母を目撃した。」
 
というエピソードを思い出し背筋が自然と伸びた。
 
 
その様々な想いが混ざりながら大きな河川を見渡すと
たくさんの人が沐浴をし、キャンドルに火を灯して川に流していた。
 
泥のような濁りを見せるガンガー(インドでガンジス川を意味する)に、子供達は飛び込んで遊んでいた。
 
馬は好きな所で排泄し、犬は吠え走り回る。
正しさなんてものは自分の指標で測ってしまうのは失礼だ。
 
『とりあえず沐浴だ』と思ったが、予防接種すら受けていないので断念。
 
 
 
しばらく川を眺めていると近くにいた日本語の勉強をしている5歳上のインド人が話しかけてくれた。
 
彼の店に招待していただくと日本の本がたくさんあった。
インドへ訪れた日本人達がたくさんの本を置いていくらしい。
 
私は読み終えた『ノルウェイの森』と引き換えに
『電波少年 猿岩石の放浪日記』を手に入れた。
 

7時過ぎに宿に戻ったが、あまりの衝撃からか食欲は無く
今日は100円ほどのお菓子しか口にしていない。
 
明日は日本料理屋にでも行ってエネルギーを蓄え、先ほどのインド人が教えてくれたマニカルニカーガートという火葬場を目指す。

 

 

 

 
 
 
 
 
 

8日目 バラナシ 〜日本人との出会い〜

 

日記

 

インド8日目。疲れからか、昼ごろまで眠ってしまった。
慌てて宿を飛び出し、今日はマニカルニカーガートという火葬場を目指す。

 
外に出れば気温は39度。今日も猛暑の中を汚れたスニーカーで歩く 。
火葬場へ向かう途中、担架にオレンジの布に包まれた物を乗せて
8人くらいの大人が掛け声をかけあって運んでいた。
 
何かと不思議がっていると、隣にいたインド人が
 
『あれは死体を運んでいるんだ。オレンジが女性で、白が男性さ』
 
日本の葬式というのはなんだかくらいイメージだが
インドではお祭りで、死体が神輿であるかのように見えた。
 
 
 
横たわる牛を横目に、火葬場の近くまで歩くとインド人に止められた
 
「そっちは家族が通る道だから、こっちに来い」との事。
 
とりあえず彼について行くと、火葬場の付近で彼は立ち止まり口を開いた。
 
「ここから先に進むには寄付金が必要だ。それはリスペクトなんだ」
 
インドで色々と騙されかけた私は無視しながら先へ進もうとすると
周辺にいたインド人達が止めて来た。
 
なんだか腹が立ってきたので元の道を引き返し
先ほどの『家族が通る道』とやらを進んでみると誰も止める気配はない。
 
火葬場に到着し、『船に乗らないか?』と質問して来た船乗りのおじさんに先ほどの話をすると
 
「ここで通れない道なんてない、火葬場は写真を撮ってはいけないけど、
それ以外は何をしたっていいんだ、インド人がお金の請求をしてきたら気をつけるんだよ」
との事だった。
 
やはりあれは詐欺だったのか。とため息をついた。
私はインドに来て騙そうとしてくる人が多く、最初の方はすごく嫌な国だなという印象を持った。
しかし彼らの生活にはそれが当たり前のように染み付いていて、ここで生きていく唯一の手段なのだ。
 
何処へ吐き出したらいいのかも分からない怒りと悲しみがこみ上げて来た。
火葬場へ行くと死体が何体も焼かれていて、最後は川に流していた。輪廻転成。
 
神の元へ帰り生まれ変わるのだろうか。
儚くも灰と立ち上る煙へと姿を変えた身体が、ガンジス川へ帰っていく。
 
 
 
なんてことセンシティブな気持ちで眺めていると
火葬場で日本人が先ほど騙してきたインド人にしつこく話しかけれていた。
 
急いでそこへ向かうと
 
「火葬するための薪代が欲しい」とせがまれているらしい。
 
私は『この人の話は嘘だ』と説明し、一緒に川の下流へと一緒に走って逃げた。
 
 
 

時間は午後17:30そろそろ夕食の時間。
本当にここ2日はまともな食事が取れていない。

日本人と出会い、昨晩眠る前に日本料理が食べたいと感じていたので
近くにあった日本料理「MEGU CAFE」に訪れた。

私は、チキンカツ丼とコカコーラを注文した。
久々の炭酸とご飯。まるで世界平和でも訪れたのかと思うほど。

私の空っぽな胃の中に『やつら』は含まれていった

 

 
その後、長々と話を聞くと
彼らはとある県の市役所で働くビジネスマンであった。
 
有給を大量に使用し本日インドの地へやってきたらしい。
あのままお金を渡してしまうところだったとふざけながら話していた。
 
今日助けてくれたお礼だと言い、ご飯をご馳走してくれた。
 
わたしは、インドに来てまともに食事も食べれていなかった。
こんなに幸福な日があって良いのだろうか。

人生で1番嬉しい瞬間であった。

食事を終え、彼らはプージャーという日没にあるお祭りを観に行くとの事で
『またいつか。』と別れた。
 
 
 
宿に戻る帰り道も高揚感が収まらない。
なんだかとてつもない銃弾を心に打ち込まれた感覚。
将来、私が就職して海外旅行へと行く日。
旅をしている学生にご飯をご馳走してあげたいと胸に刻んだ。
 
今日は本当に良い1日だった。
 
 
 
 
 
 

9日目 バラナシ 〜プージャー キャンドル浮かぶガンジスの祭り〜

 

日記

 

インド9日目。
今日も朝から街をブラつき、なにやら得体の知れないシールを購入。
 
ナマステ
 
そのままバザールをまわる。
 
1つ30円くらいのブレスレットや
よくわからないTシャツを買った。久しぶりにお金を使った。
あっという間に時間が流れ、夕方。
川の近くでインド人と会話しながらぼーっとしていた。
そして日没が近づくと「プージャー」というお祭りのようなものに遭遇。
 
 
 
オレンジの服をまとった人たちが歌とお祈りをしていた。
そこには多くの船が押し寄せ、船の上からプージャーを眺めていた。
 
プージャーは日の出と日没に毎日行われているらしいが
『こんなにも人が集まるのか。』と感動した。
 
宿に戻る途中、インドの大学生に話しかけれ色々な話をした。
彼は京大の医学部へ留学をしたいと言っていた。
 
『何故?』と問うと
 
『日本人が当たり前に治る病気で、インド人は何人も亡くなる。
日本と変わりのない医療でみんなを救いたい。もちろん私の身内もね。』
 
最初は怪しい人物かと思ったが、日本語がとても丁寧で
その知識や表情、情熱に『この人は本物だ』と確信し
環境を客観視できていない自分を思い返し赤面した
 
 
何かを追ったり、夢中になる衝動。
無理だ、苦しいなんて言わない彼に心を許した。
 
ありがとう。どの地を回っても
心から通じ合える人間に出会う事ができる
肌や瞳の色、言語や文化、宗教さえ違くとも
君と私は何かもっと大きく単純なもので繋がれる
 

また逢える日を願っているよ

話しかけてくるインド人は切り捨てるスタイルで旅を続けていたが
ここにきてその壁はベルリンのように、崩壊した。
 
そのままベッドに横たわり空腹に耐えながら日記を書く。
 
ズボンが緩くなった気がする。
 
 

まとめ

 
記事を読んでいただきありがとうございます。
 
 
 
初日に騙されたインド人との戦いです。

コメント

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