バックパッカーで旅へ出かけよう!-インド旅行記-前編【デリー・ジャイプール・アーグラー】自由と異文化の創造

インディラガンディー空港の税関 旅行記
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こんにちはポールです。

今回は学生時代にインドへバックパッカーとして訪れた際の
旅行記を紹介をしていこうと思います。
 
まずはインド旅行記の前編として、デリー・ジャイプール・アーグラー編です。
 
 
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初日 羽田からデリー 〜初日に浴びるインドの洗礼〜

 

日記

2017/9/7 AM10:00 羽田空港についた。
 
ついにインドの旅が始まる。
たまたま大学の友人がジャカルタから帰国しており、空港で少し話をしてから税関を通る。
アメリカンスピリットライトを1カートン3200円で購入し、いざエアチャイナに乗り北京へ。
 
到着時刻より1時間前に北京に到着。
トランジットの間、少し時間があるので空港で「元」に換金をした。
エビの入った炒飯を食べ切った後、腹痛になったらどうしよう。と心配になった。
 
 
現地時間20時40分出発のデリー行きの飛行機に搭乗するが
なかなか出発せずにいると、中国語のアナウンスが流れた。
 
その後、乗客全員が立ち上がった。
一体何が起きたのかわからないが飛行機を降ろされた。
一気に不安になったが、日本にきていたというインド人が上手な日本語で説明してくれて一安心。
パスポートを紛失したお客様がいたみたいだ。
 
 
 
23時ようやく北京を出発。デリー空港に着くと午前5時。
湿気がものすごい空港を出てとりあえず地下鉄に乗りニューデリー駅へ。
駅についた途端、20人近くのインド人に囲まれた。
日本語で「どいてくれ」と叫びながら逃げ出す。
 
いきなりの事でなにが起こったのか私にもわからない。
言葉も標識も表情も何もわからない。
「早く明日のジャイプールの鉄道を取らなければ。この街に長く居座りたくない」と思いながら街を歩く。
 
するとリキシャーの運転手が鉄道のチケットを買える案内してくれる言われ、リキシャーに乗った。
 
 
 
しかし、ここで私はインドの洗礼を受けることになる。
小さなお店のようなとこに案内され、話を聞くと
インドの列車はもうキャンセル待ちで1ヶ月は乗れないとの事だった。
 
ノープランできた自分が情けない。帰りの航空券の日付を思い出して
この街に何週間いなければならないのかと思うと絶望しかなかった。
 
そして、男が再び口をあける。
 
「政府が運営する列車なら明日の昼から乗れるよ」
一瞬にして光が差した。少し高いが相方と顔を見合わせて、うなずいた。
 
しかし、宿に到着してから調べると、
電車がキャンセル待ちというのは嘘だという事。
 
外国人バックパッカーの8割はこれに黙されてしまう事を知った。
生温いシャワーを浴びて、今日記を書いている。
 
あの男の顔を思い出すと悔しくてたまらないが
立ち止まっていてはいけない。
 
明日からのインド旅がどうなるのか私にも予測不可能である。
 
 

写真

 
 

エアチャイナの機内食

中国国際航空の機内食

 

インディラガンディー空港

インディラガンディー空港

 

デリーの夕食で食べたカレー

初日の夕飯(80円程)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

2日目 デリーからジャイプール 〜タブラ楽器とストレンジャーフレンズ〜

 

日記

インド2日目の朝を迎えた。
私は駅へと足を運び、デリーから列車でジャイプールへ向かった。
遠くの景色や牛を眺めていたらあっという間にジャイプールに到着した。
 
駅で楽しそうな運転手を捕まえて、リキシャーに揺られながら街を眺めていると手を振ってくるインド人がたくさんいた。
私もリクシャーに乗りながら手を振りかえす。
 
小さな楽器屋を訪れると、たくさんのタブラやシタールが並べられていた。
店員のおじいさんはタブラ奏者でプロだと言う。
 
とりあえずタブラを触ってみると
おじいさんがビートを「ティ ラ キィ 」のように言葉で説明してくれる。
 
あっという間に時間はながれ、2時間ほど拙い英語と音で会話をしていた。
私はドラマーでありながら、天性のリズム感の差を感じ、少し気持ちが暗くなった。
彼らのリズムというものは、私が本や動画で学ぶものと正反対で
身体から湧き出ているものなのだと感じた。
 
このリズムがいったい何者か
 
そんな事は知らんとばかりに感覚とセンスだけでリズムを産み出す。
うまく言葉に出来ないけど、私の中で考え方が一変するような出会いだった。
今日出会ったインド人は皆、本当に優しい人達だった。
 
インドに来て2日目。
街並みも人柄も言語も全て異なる地で、
私の個性も一層研ぎ澄まされていくのが身に染みてわかる。
 
 
夜ゲストハウスの外の階段に座りインドのおじさんと会話していると
ビディというインドのタバコのようなものをくれた。
 
一緒にビディを吸いながらおじさんは言う
 
「君と俺はストレンジャーフレンズだ。君は明日か明後日この街を去るだろう。自分の街に戻った時、名前も知らないけどお互いの事を思い出すんだ。understand?」
 
 あまり英語は得意ではないがこう言ってるように聞こえた。
私は「もちろん、君と出会えた事を幸せに思うよ」と伝えた。
 
それにしても銃声がうるさくて寝れそうにない。
 
 

写真

 

インドの楽器屋
 
ジャイプールの楽器店
 
 
 
ジャイプールの街並み
 
ジャイプールの街並み
 
 
 
 
タブラ演奏動画
 
 
 
 

3日目 ジャイプール 〜警察とデモ隊の抗争〜

 

日記

インド3日目。ジャイプール。
午前8時に起床しロビーへ行くと新聞に私が泊まっている宿から約1kmほどのところで昨夜、デモ隊と警察の衝突があったとの記事が。
 
何百人もの人が死亡したらしく、街では緊張がものすごいとのことだった。
「今日は街を出歩けないよ」との事だった。
 
仕方なく部屋にもどりベッドに横たわった。
昨日の夜の銃声の理由が明確に理解した。
そんなこんなで今日は仕方なくフィッシュマンズをかけながらだらだらとしていた。
 
しばらくしてロビーへ出ると日本人の男に出会った。
彼は今日の夜行列車でジャイサルメールへ向かう予定だったらしいが、
 
列車が動かないので車で一度デリーに戻り、列車でジャイサルメールに向かうとの事。
予定がものすごく狂ってしまうのも旅の醍醐味であるが
彼の顔はとても不安そうに見えた。
 
さて、私も明日アーグラーへ鉄道で向かう事は出来るのだろうか。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

4日目 ジャイプールからアーグラー 〜歓喜の街〜

 

日記

インド4日目。早朝に目が覚めた。
この街は危険だと感じ、はやくこの街をさろうとするも
駅周辺が封鎖しているため、かなり回り道しなければならなかった。
 
それでもなんとか駅に辿り着き、アーグラーを目指す。
相変わらず電車は1時間近く遅れていた。
 
ようやうアーグラー駅へ到着するとたくさん猿達に遭遇した。
なんだか良い街な予感。38度の猛暑の中、ボロボロのスニーカーで街を練り歩く。
 
それにしても相変わらずの人と牛の多さはインドならではだが
これまでの街よりも治安が良い気がする。
 
 
 
キレイな楽器屋を見つけ入ってみると、シタールタブラがたくさん並んでおりセッションを見させてもらった。
楽器を買うほどの金は持ち合わせていないので、申し訳なさそうに店を出た。
 
なんだか今日は疲れたので、宿の周辺にあった店でカレーをテイクアウトした。
値段が安すぎたのか、味はすこぶる悪く、卵は変色している。
 
 
 
アーグラーと言えばタージマハルがある。
 
明日も猛暑の中ぐいぐい進んでタージマハルまで辿り着いてみせる。
 
 

写真

 
アーグラー楽器店でのセッション
 
アーグラーの楽器店
 
 
 
アーグラー駅内にいた猿
アーグラー駅内にいた猿
 
 
 

5日目 アーグラー 〜世界最大の墓タージマハルと熱中症〜

 

日記

インド5日目 
早朝にゲストハウスの硬いベッドから起き上がり、タージマハルを目指す。
 
蒸し暑いアーグラーの街をしばらく歩くと、
タージマハルまでは明らかに遠い場所で、男に話しかけられた。
 
「タージマハルのチケットはここでしか買えないよ」
 
「またか」と私は溜め息をついた。
インドにきて5日。私の見解として
 
「相手から話しかけてくる話は怪しい」と感じていた。
 
しかしながら、人を信じられない自分にも嫌気が指していた。
けれどここで生きていくには、彼が親切な人であっても切り捨てるしかなかった。
その男には「大丈夫」と伝え再び歩き始めた。
 
 
 
あれから10kmは歩いただろうか。
ついにタージマハルの近辺までやってくると
 
「タージマハルの中には水が売っていないよ。」
 
と売店の人に言われるが、コレも見て見ぬふりをした。
そしていざ、タージマハルのゲートに到着すると案の定チケットを購入する事が出来た。
安堵と落胆。
 
ちなみにタージマハルの入場料はインド人とforeignerで別料金だった。
5倍近い1500円を払った。
 
そんなことはさておき、ゲートをくぐると、ムンムンとした情景に純白の楽園が建つ。
 
「これがタージマハルか。高校時代からあれほどまでに訪れたかったインドの地に、私は今、この2本足で立っているんだ」と改めて実感した。
 
タージマハルの裏を回れば、大きな河川が流れ、屋内には2つの墓があった。
私は冷たいタージマハルの大理石にもたれかかり、この旅の厳しさの中に快感を得てしまっている自分を客観視しながら、旅へ出る前ある人が言った
 
「文句は一つもないけど、インドへ行きたい理由は理解できない」
という言葉が頭に浮かんでいた。
 
 
しばらくして、途中で出会ったインドの大学生と会話をしながら
宿の方面へ歩いていると、脱水症状なのか頭がとてもクラクラしてきた
 
一度宿に戻り、日本から持ってきたポカリスエットを飲み休憩。
 
 
 
1時間後宿のオーナーと話すと、近くにマクドナルドがあると言う。
そういえば朝から何も口にしていなかった。
体調回復を試みてマクドナルドまで足を運ぶと
 
「ファミリーレストランマクドナルド」
 
と看板に書かれていた。
 
インドではファミリーレストランの位置にマクドナルドがあるのだろうか。
など疑問に思いながら、少し高めのハンバーガーを頼んだが値段は80円ほど。
食事中にスコールが降り出すが傘を差すインド人はいなかった。
 
その後、マーケットで妙なスパイスに興味をそそられ20ルピーで購入。
タージマハルも無事見れたので、今から夜行列車に乗りガンジス川のあるバラナシに向かう。
 
 
 

写真

タージマハル
 
タージマハル
 
 
 
 
 
 
 
タージマハルの目の前の写真
 
タージマハル
 
 
 
 
インドのマクドナルド
インドのマクドナルド
 
 
 

続き

インド旅行記前編を読んでいただきありがとうございます。これからも自分が心から楽しいブログを書いていこうと思います。

続きの中編は下記リンクにになります。

コメント

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